素盞嗚尊神社(江坂神社)の歴史年表 | |||||||
時代 | 和暦 | 西暦 | 国、地域の出来事 | 当神社の出来事、 歴史遺物・古文書等 | 刻銘、墨書等 | 所在、典拠 | 神職 |
平安 | 平安末期 | 11世紀末期 | 垂水西牧(榎坂郷を含む地域)、摂関家から奈良春日社へ寄進され同社の荘園となる。 | 「郷土吹田の歴史」 | |||
室町 | (伝承) | 15、16世紀頃か | 神社の始まり
垂水の広芝にあった小祠(榎坂の氏神)と寺内の蛇ハギ谷にあった小祠(寺内の氏神)を現在の地に合祀したのが当神社の始まりであるとの伝承がある。 時期についての伝承は見当たらない。5,600年前か、7,800年前かなど大まかな推定がある。 |
寺内の「蛇ハギ谷」は、現在の寺内二丁目の緑地公園駅北側付近 | |||
江戸 | 江戸初期 | 17世紀初頭 | 榎坂村を含む摂津豊島の地域は、旗本森重政公の領地となる。森氏は一族の中に織田信長の小姓森蘭丸がいる。宗家は津山藩主となった家柄。森家による支配は幕末まで続いた。 | 「郷土吹田の歴史」 | |||
天和3年 | 1683年 | 表参道鳥居 | (左柱)天和三癸亥年九月十六日 石大工大坂 小嶋屋半兵衛 (右柱)祇園牛頭天王御寶前 | 形式:明神鳥居 | |||
この頃までに本殿建築される。 | 吹田市の指定有形文化財 平成23年4月 指定 |
一間社流造 正面千鳥破風付 身舎に彩色を施す。 身舎背面に間柱を入れ、三間とする。 |
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元禄5年 | 1692年 | 榎坂村・蔵人村社寺御改帳写 | 摂州豊嶋郡榎坂村牛頭天王社 右社勧請之年暦久遠ニ而知れ不申候 | 「吹田市史」
「勧請」とはご祭神を迎え、神社の祀りを始めること。この当時においてすでに、神社の始まりは、遠い昔のことで分からないと報告している。 |
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元禄14年 | 1701年 | 元禄赤穂事件 | |||||
元禄16年 | 1703年 | 旧拝殿棟札 | 「牛頭天王拝殿棟札 榎坂村 寺内村 棟梁吉兵衛」 拝殿が老朽化したので、村人らが協力して改築したとの由緒の墨書がある。 | 社務所 | |||
宝永6年 | 1709年 | 新井白石幕府に登用される。正徳の治 | |||||
正徳3年 | 1713年 | 表参道鳥居の扁額 | 神号「感神院」 裏面の刻銘:大坂金田町 錺屋五左衛門 支持金物の刻銘: 榎坂村 寺内村 | 奥書、添書等辻氏宅保存 「感神院」は、伏見宮邦永親王の御染筆による。 | |||
正徳4年 | 1714年 | 絵馬「酒呑童子図」 | 寺内村 | 倉庫(剥落) | |||
享保元年 | 1716年 | 徳川吉宗 8代将軍となる。 | |||||
享保16年 | 1731年 | 手水舎井戸石 | 享保十六年辛亥年二月吉日 大坂讃岐屋町 角野源三郎 | 「吹田の石造物」(神社編) | |||
寛延元年 | 1748年 | 本殿御神座前金幣 | 寛延元歳 雨請謝禮 寺内村 | 寺内村の氏子が雨乞い祈願をしたところ、恵みの雨が降ったことへの感謝御礼として奉納した。 | |||
宝暦11年 | 1761年 | 絵馬奉納「馬上侍図」 | 奉掛御広前 諸願成就 皆之満足 宝暦十一辛歳仲冬 木田郡次 敬白 | 拝殿掲額 | |||
宝暦13年 | 1763年 | 榎坂村・蔵人村の百姓等代表 領主(江戸谷中の森氏)に直訴嘆願 | |||||
宝暦14年 | 1764年 | 絵馬奉納「漢張翼徳図」金山鶴玉瞭筆 | 奉納由緒(概要) 榎坂村と蔵人村は、江戸谷中の森公の所領地である。村中に或る紛争が発生したので、森公の裁断を仰ぐべく、両村の百姓らの代表が江戸に赴き窮状を訴えたところ、森公が明快な裁断を下された。村人大いに喜び、これ偏に神社のお陰であるとして、感謝の意を表し、併せて正義を信じることの大切さを永く忘れないようにとこの絵馬を奉納する。 | 拝殿 奉納の由緒(絵馬保管台帳) 蔵人稲荷神社にも同趣旨の絵馬「漢壽亭侯坐像」が奉納されている。 | |||
天明7年 | 1787年 | 松平定信 老中筆頭となる。寛政の改革 | |||||
寛政10年 | 1798年 | 本居宣長「古事記伝」完成 | |||||
文化4年 | 1807年 | 拝殿前石造狛犬一対 | 奉献 東町講中 文化四年卯四月吉日 | ||||
文化11年 | 1814年 | 参道南端 灯籠一対 | 常夜燈 文化十一年甲戌年九月吉日 氏子中 石工 大埜村 久七 | ||||
参道北端 灯籠一対 | 常夜燈 干時文化第十一歳次甲戌秋九月上浣 由上源重郎 石工 大ノ 久七 | ||||||
文政11年 | 1828年 | シーボルト事件 | |||||
随神像一対 | 奉納 文政十一年戊子年九月上旬 辻伊勢講 古組 細工人 山本平□ | 拝殿 | |||||
天保8年 | 1837年 | 大塩平八郎の乱 | |||||
天保10年 | 1839年 | 本殿神座前狛犬一対 | 大坂北御堂表門通 細工人大和屋枩尾吉右衛門 細工師嘉助 | 寄木造 | |||
嘉永6年 | 1853年 | ペリー浦賀へ来航 | |||||
太鼓神輿 | 嘉永六年製作 彫工 小松 小曽根村長島の神社から、当神社氏子中が譲り受けたと伝承される。 | 史料保存館 | |||||
慶応3年 | 1867年 | 徳川慶喜大政奉還 | |||||
明治 | 明治元年 | 1868年 | 明治維新 | ||||
神仏判然令 | 社名:牛頭天王から素盞烏尊神社に変更、神号扁額:感神院から感神宮に変更 | ||||||
明治初期 | (伝承) | 境内地山中から家形石棺の蓋出土(伝承) | 7世紀初頭のもの | 境内玉垣内に設置 | |||
明治3年 | 1870年 | 絵馬再彩色 | 黒馬牽図、役行者滝修行図 | 拝殿掲額 | |||
明治5年 | 1872年 | 村社に列せられる。 | 由上文書 | ||||
明治10年 | 1877年 | 西南戦争 | |||||
明治22年 | 1889年 | 榎坂村、垂水村合併して豊津村となる。豊島郡に属する。小曽根村豊島郡に属する。 | |||||
明治27年 | 1894年 | 日清戦争 | |||||
本殿屋根換え許可願 | 村長 垂水熊次郎宛 、社掌 石川七郎 明治二十七年三月 | 古文書綴 | 社掌 石川七郎 | ||||
本殿屋根換え落成に伴う太鼓担出し許可願 | 池田警察署岡町分署御中 明治二十七年五月 | 古文書綴 | |||||
石段下 灯籠一対 | 梶山常右衛門 | ||||||
明治29年 | 1896年 | 豊津村、小曽根村豊島郡から豊能郡に編入 | |||||
明治37年 | 1904年 | 日露戦争 | |||||
明治38年 | 1905年 | 日露戦勝紀念楓樹百余株植樹 | 「郷土史」由上桂花(由上兵太郎氏の雅号) | 平成初期に2本枯死、1本石段西側に現存するも樹勢弱し | |||
明治39年 | 1906年 | 太鼓担出し許可願 | 大阪府岡町警察署長 氏子総代由上常太郎 | ||||
明治42年 | 1909年 | 旧社務所新築請負契約証 | 工事設計書添付 旧社務所は下境内西側に建設された。昭和44年取り壊し。 | 古文書綴 | |||
兼務社掌就任 | 垂水神社社掌 青木秀彦 | 往復雑件綴 | 兼務社掌 青木秀彦 | ||||
明治45年 | 1912年 | 「神社案内」発行 | 内容 当社は豊津村大字榎阪と、小曽根村大字寺内の氏神である。ご祭神は素盞嗚尊他二柱。氏子たるもの氏神様に崇敬の誠を尽くすべきこと。参拝の作法。年間行事など。 |
古文書綴 | |||
大正 | 大正3年 | 1914年 | 第一次世界大戦参戦 | ||||
大正10年 | 1921年 | 神社活動状況報告 | 社掌 青木政生 豊能郡役所宛 | 往復書類綴 | 兼務社掌 青木政生 | ||
大正12年 | 1923年 | 兼務社掌推薦書 | 垂水神社社掌 青木六郎 | 往復書類綴 | 兼務社掌 青木六郎 | ||
大正13年 | 1924年 | 玉垣建設認可申請書 | 皇太子殿下御成婚記念事業 大阪府知事宛 石段両側 拝殿前に玉垣親柱9本、小柱135本 「皇太子殿下」は、昭和天皇 | 往復書類綴 | |||
大正14年 | 1925年 | 本殿屋根銅葺替修繕許可申請書 | 檜皮葺から銅葺に変更 工事請負人 田中安吉 | 往復書類綴 | |||
大正15年 | 1926年 | 境内実測図 | 3反8畝8歩9合5尺 | 古文書綴 | |||
昭和 | 昭和3年 | 1928年 | 石碑 御大典紀念樹 | 昭和3年11月 榎阪第一消防組 昭和天皇の御大典紀念 | 境内の楠 2株 | ||
昭和9年 | 1934年 | 室戸台風 豊津尋常高等小学校(豊津第一小学校の前身)南校舎倒壊 児童・教員多数犠牲 | 風災記念碑(豊一小学校) 「室戸風災を偲ぶ」 |
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(室戸)台風被害報告書 風害倒木処分許可申請書 | 拝殿破損 倒木 69本 | 往復書類綴 | 社掌 青木六郎 | ||||
昭和15年 | 1940年 | 豊津村、吹田町、千里村、岸部村合併して吹田市となる。 | |||||
昭和16年 | 1941年 | 太平洋戦争勃発 | |||||
昭和20年 | 1945年 | 神職推薦書 | 古文書綴 | 神職 久田芳太郎 | |||
太平洋戦争終戦 | |||||||
GHQによる神道指令。神社の国家管理廃止 | |||||||
昭和22年 | 1947年 | 小曽根村豊中市に編入 | |||||
昭和31年 | 1956年 | 兼務宮司就任 | 兼務宮司 宮脇芳三 | ||||
昭和37年 | 1962年 | 油掛地蔵尊 旧吹田街道沿い(江坂と垂水の境界地)から境内西隅に移転 | |||||
昭和44年 | 1969年 | 拝殿、社務所改築、本殿塗装、 奉納品(北参道の鳥居、石燈籠(2対)、しめ縄石柱、玉垣(616本)、各種祭器具) | 明治100年・大阪万博記念 | ||||
昭和45年 | 1969年 | 大阪市営地下鉄江坂駅、北大坂急行開業、新御堂筋完成 | |||||
大阪万博開催 | |||||||
禰宜就任 | 禰宜 表 時男 | ||||||
昭和50年 | 1975年 | 緑地公園駅開業 | |||||
本殿風防囲い工事 | |||||||
昭和54年 | 1979年 | 兼務宮司就任 | 兼務宮司 宮脇幸穂 | ||||
平成 | 平成5年 | 1993年 | 太鼓神輿修復 町内巡行復活 資料保存館(神輿収納庫)建設 | ||||
平成6年 | 1994年 | 宮司就任 | 宮司 表 時男 | ||||
平成7年 | 1995年 | 阪神淡路大震災 1月17日午前5時46分 | 本殿祭壇倒壊、社務所玄関基礎一部崩壊、鳥居1基擬宝珠落下、地蔵堂屋根瓦落下。江坂の震度5 | ||||
平成8年 | 1996年 | 宮司就任 | 宮司 多田勝利 | ||||
平成19年 | 2007年 | 素盞嗚尊神社奉賛会設立 | |||||
平成21年 | 2009年 | 太鼓神輿 吹田市地域有形文化財、地域無形民俗文化財登録 | |||||
平成23年 | 2011年 | 本殿 吹田市指定文化財に指定される。 |